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メイドinスギナミ トップへ VOL.7 -final issue- 株式会社タマス PDFデータ
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写真:加藤アラタ

Place 杉並

選手が愛しているのは、
日本の「バタフライ」なんだ

1965(昭和四〇)年、株式会社タマスに危機が訪れたことがある。商品を卸していたオランダの販売代理店が、「バタフライ」の商標を盗用したのだ。事前に商標登録していなかったのもミスではあるものの、これではヨーロッパ全土で売ることが出来なくなる。その後、ヨーロッパで行なわれた裁判で力になってくれたのが、現在ドイツにあるタマス・バタフライ・ヨーロッパ(TBE)の初代社長シモンであった。彼は裁判で「選手が愛しているのは日本のバタフライなんだよ」と証言し、勝訴へ導いてくれた。卓球メーカーとしては、日本初の現地法人の設立もシモンの協力によって1973(昭和四八)年に実現する。創業して15年目。販路が拡がり、「バタフライ」ブランドが認知され始めた矢先の存亡の危機ではあったが、よい出会いが幸いし、結果として世界への足がかりを得ることとなった。


●卓球を魅せるスポーツへ

「卓球はネクラなスポーツ」というレッテルを払拭すべく、1986(昭和六一)年から日本国内で卓球のイメージアップをはかる動きが出始めた。従来の卓球台のダークグリーンをブルーに、白色のボールをオレンジイエローにしようというものである。それらは1989(平成元)年の全日空杯ジャパンオープンで採用され、それにともない1990(平成二)年からは、白や多色使いのユニフォームも承認された。

一連の改革の貢献者は、荻村伊知朗。1954(昭和二九)年、1956(昭和三一)年と世界選手権で優勝を果たし、1952(昭和二七)年から始まった日本の卓球黄金期を担った名プレイヤーだ。田舛彦介とも懇意であり、株式会社タマスの初期の開発や経営を支えた久保彰太郎とは、学生時代にダブルスを組んだチームメイトでもある。

1985(昭和六〇)年に第3代国際卓球連盟会長に就任し、日本が中心となって卓球のイメージアップをはかるルール改正を促した。

1988(昭和六三)年には、ネットを2センチ高くし、直径44ミリ(現在の公認ボールより4ミリ大きい)のボールを使用する「ラージボール(新卓球)」という新種目が誕生。初心者や高齢者でも、より簡単にラリーを楽しめるよう配慮されており、誕生から18年経った現在では、愛好家も増え、全国で大会がさかんに行なわれている。

1993(平成五)年から「週刊ヤングマガジン」で連載された『行け!稲中卓球部』(作 古谷実、講談社)や1996(平成八)年から「週刊ビッグコミックスピリッツ」で連載された『ピンポン』(作 松本大洋、小学館)は、卓球を主題にした人気漫画であり、テレビアニメや実写映画化もされている。

近年では、卓球台を店内に設置した居酒屋やバー、コンビニも現われた。
「卓球とはチェスをしながら、100Mを全力疾走するような競技である」
これは、荻村伊知朗の言葉だが、長さ274センチ、幅152.5センチの卓球台の上を、スマッシュであれば約0.2秒で自らのコートにボールが届く熾烈なラリーが続く。そのため、敏速なフットワークのみならず、瞬時に相手の次の動きを読み取る、頭脳プレーも必要となる。

ラバーや技術の進歩から、高速かつ短縮化されたラリーを改善するため、2000(平成十二)年には、ボールの大きさが38ミリから40ミリに変更された。

よりラリーが長く、選手のみならず観戦する側も楽しめる「魅せる競技・卓球」にするため、現在もルール改正や大会システムの改善が行なわれている。

●これからも「勝てる」用具を作っていく

バタフライ ロゴ
▲1991(平成三)年に新しくなったロゴ。左右非対称で蝶が羽ばたいているように見える。

1983(昭和五八)年4月、12億円を投入し、阿佐谷本社横に地上2階、地下2階のバタフライ卓球道場を設立。道場では、火〜金曜日の午前中に、レディース教室の指導を行なったり、「らくご卓球クラブ」など熱意のある団体に開放したりしている。建物内には、貴重な卓球用具や文献を保存した「史料コーナー」、3台のVTRを完備し、世界選手権など、過去の好試合のビデオが見られる「視聴覚室」もある。さながら卓球博物館といった様相だ。

2000(平成十二)年に創業50年を迎え、年度ごとに福祉施設や児童館など対象を変えながら、卓球台を全国に進呈するという記念事業が行なわれている。50周年は50台、51周年は51台・・・・・・と、10年間続けていく予定だ。一昨年は、新潟県中越地震やスマトラ島沖大地震など災害の多い年であったため、そういった地域の方に卓球で少しでも元気になって欲しいという願いを込めて、各地域に贈呈した。

この記念事業の発案者は、前社長・田舛公彦。1991(平成三)年にブランドマーク一新とともに、社長に就任した。ルール改正や時代の流れに経営資源を集中・適合させ、1995(平成七)年からの会社の増収増益に貢献した中興の祖である。2005(平成十七)年12月、山田俊策に社長の座を譲り渡し、現在は相談役となった。

株式会社タマスでは、2003(平成十五)年からスタートした世界ジュニア卓球選手権大会を、スポンサーとしてバックアップ、ジュニア世代の育成を目指している。それ以前は、2000(平成十二)年から始まった国際卓球連盟(ITTF)が主催するプロツアーのグランドファイナルをサポート。趣旨に賛同できるような卓球界の新しい流れには、援助を惜しまない。「いままでもこれからも選手のために、『勝てる』卓球用具を作っていきたい」

収益をあげるためのこまごまとしたアクセサリー類だけでなく、ラケットやラバー、ボールといった、それがなければ、卓球ができないようなものを作り続けたいと話す。

これからも多くの選手たちが、株式会社タマスのラケットやラバーを使って、世界を舞台に活躍してくれるのが楽しみである。

(取材協力 株式会社タマス 研究開発チーム山崎 斉、編集企画チーム 兼吉 秀洋)