●卓球を魅せるスポーツへ
「卓球はネクラなスポーツ」というレッテルを払拭すべく、1986(昭和六一)年から日本国内で卓球のイメージアップをはかる動きが出始めた。従来の卓球台のダークグリーンをブルーに、白色のボールをオレンジイエローにしようというものである。それらは1989(平成元)年の全日空杯ジャパンオープンで採用され、それにともない1990(平成二)年からは、白や多色使いのユニフォームも承認された。
一連の改革の貢献者は、荻村伊知朗。1954(昭和二九)年、1956(昭和三一)年と世界選手権で優勝を果たし、1952(昭和二七)年から始まった日本の卓球黄金期を担った名プレイヤーだ。田舛彦介とも懇意であり、株式会社タマスの初期の開発や経営を支えた久保彰太郎とは、学生時代にダブルスを組んだチームメイトでもある。
1985(昭和六〇)年に第3代国際卓球連盟会長に就任し、日本が中心となって卓球のイメージアップをはかるルール改正を促した。
1988(昭和六三)年には、ネットを2センチ高くし、直径44ミリ(現在の公認ボールより4ミリ大きい)のボールを使用する「ラージボール(新卓球)」という新種目が誕生。初心者や高齢者でも、より簡単にラリーを楽しめるよう配慮されており、誕生から18年経った現在では、愛好家も増え、全国で大会がさかんに行なわれている。
1993(平成五)年から「週刊ヤングマガジン」で連載された『行け!稲中卓球部』(作 古谷実、講談社)や1996(平成八)年から「週刊ビッグコミックスピリッツ」で連載された『ピンポン』(作 松本大洋、小学館)は、卓球を主題にした人気漫画であり、テレビアニメや実写映画化もされている。
近年では、卓球台を店内に設置した居酒屋やバー、コンビニも現われた。 「卓球とはチェスをしながら、100Mを全力疾走するような競技である」 これは、荻村伊知朗の言葉だが、長さ274センチ、幅152.5センチの卓球台の上を、スマッシュであれば約0.2秒で自らのコートにボールが届く熾烈なラリーが続く。そのため、敏速なフットワークのみならず、瞬時に相手の次の動きを読み取る、頭脳プレーも必要となる。
ラバーや技術の進歩から、高速かつ短縮化されたラリーを改善するため、2000(平成十二)年には、ボールの大きさが38ミリから40ミリに変更された。
よりラリーが長く、選手のみならず観戦する側も楽しめる「魅せる競技・卓球」にするため、現在もルール改正や大会システムの改善が行なわれている。 |