●花に仕える蝶として、誠実に働こう
 ▲創業者・田舛彦介
田舛彦介は、山口県柳井町の銘菓で知られる菓子屋を営む家庭に生まれる。小学校5年から卓球を始め、高校を卒業する頃には、県の卓球協会理事長に就任するほどの腕前であった。
家業の菓子屋を続けながらタマス運動用具店を開業した1946(昭和二一)年。秋に兵庫県で行なわれた第1回国民体育大会兼全日本卓球選手権大会では個人戦で準優勝、1949(昭和二四)年の全日本卓球選手権大会では混合ダブルスで優勝を果たした。
大会への出場で、東京と山口県を行き来しながら、戦後の物資が少ない中、卓球用具を仕入れ、卓球がしたくてたまらない地元の人たちに売る。
東京の拠点としては、妻のつてで、馬橋(現在の高円寺南付近)辺りの土地に出張所を構えていた。需要が多くなり、その場所が手狭になった1953(昭和二八)年、山口県の生家を離れ、現在の所在地に移転する。
 ▲1956(昭和三一)年当時のタマス旧社屋看板
卓球用具総合メーカー・株式会社タマスとしてスタートしたのは、1950(昭和二五)年。創業当時から、ブランドにこだわり、品質の良いものづくりを目指した。創業の前年に発売された初のオリジナルラバー「A003イエロー」には、すでに「バタフライ」ブランドのロゴを刻印。ブランド名には、「もう戦争をしてはいけない。世界中の卓球選手を花にたとえ、花から花を飛び回り、花に奉仕する平和な蝶(バタフライ)のように選手に奉仕する企業になろう。花に仕える蝶として誠実に働こう」という創業者の願いが込められているという。その背景には、戦前戦後の混乱期の中、大好きな卓球を満足にできず、指導者もいなく、用具も手に入らない自らの苦労を、のちの選手たちに味わわせたくないという強い思いがあった。
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●商品とサービスの両方を担い続ける。
 ▲『卓球レポート』1957年創刊号
「タマスは卓球を通じて商売をし、利益を得ている会社。その利益のある程度は、卓球界に還元しなければならない。卓球の情報やノウハウを世間に伝えていくなんてことは、メーカーがやらなければ、誰もやらない。それは、卓球メーカーの大手であるウチが果すべき仕事であろうと。そこは、採算ということではなくて、奉仕還元だと考えています」
強くなる卓球専門誌というコンセプトのもと、『卓球レポート』を1957(昭和三二)年に創刊。2006年4月号で、通号585号となる。
創刊時は、ガリ版印刷したものをホチキスで留めただけのものであったが、その後B5版のカラー刷りとなり、現在のA4版に至った。
多分に美しいカラー写真を使用し、116〜124ページの編成で、定価400円。。紙面は、自社製品のPRはもちろんあるものの、ほとんどのページが卓球の技術についての内容だ。 「卓球メーカーとして、よりよいサービスや商品を提供し、ユーザーが満足する。そこから利益が生まれます。その利益で投資をしたり、奉仕をしたりしながら、また違った形で新しいサービスを提供する。その循環が、ずっと上手くいっているから長く営業を続けられていると思っています」
 ▲『卓球レポート』2006年4月最新号
数ある卓球メーカーでも自社工場を持つのは、株式会社タマスだけだという。良質なものづくりでブランドイメージを確立し、ユーザーの信頼を得る一方で、責務として卓球の情報を発信し、プレーする場所を提供する。
創業から55年間一貫して、商品とサービスの両方を担うことで、ユーザーの満足感を高めてきた。
口で言うはたやすいが、なかなか成し遂げられない偉業である。 |