●近代的な薬の売り方を目指す
 ▲創業者・堀正由
関東大震災が起きた1923(大正十二)年9月、堀博愛薬房は、店舗を浅草区田島町から京橋区岡崎町(現在の中央区八丁堀2丁目)に移転。『救心』を商標登録した1933(昭和八)年の7月には、商号も救心製薬所に変更した。
それとともに、販売方法も従来の配置売薬から通信販売に切り替え、新聞や雑誌などへの広告戦略も積極的に展開していく。戦前は、効能を重視した内容、戦後は三大喜劇王と呼ばれた柳家金語楼、榎本健一、古川緑波らといった多忙で著名な人物を起用し、心臓に効く『救心』のイメージを定着させた。
 ▲京橋区岡崎町(現在の中央区八丁堀2丁目)に移転後、商号を救心製薬所に変更した当時の社屋。
テレビコマーシャルを開始したのは、1966(昭和四一)年。その当時採用された東京大学卒の人気俳優・佐藤英夫は、25年間『救心』の顔となる。「キューシン、キューシン」という女性コーラスのサウンドロゴもテレビコマーシャルの開始と同時に、使われるようになった。
「売上の8割を『救心』が占める当社では、広告で起用するタレントのイメージが、会社とイコールになる。製品が医薬品である以上、誠実かつ信頼感のある方にお願いをしています」 1993(平成五)年から8年間起用された児玉清や、現在採用されている滝田栄は、俳優としてのキャリアも長く、安定した人気を維持しており、『救心』のイメージにぴったりのタレントである。また、愛用者には、戦後の動乱期に第56、57代内閣総理大臣を務めた岸信介や、救心製薬株式会社とほぼ同時期に現在の松下電器産業株式会社を創業した松下幸之助など、高度成長期を担う大人物がいた。そういった人物が、何かの折に『救心』の服用や効き目をアピールしてくれたことにより、副次的に信頼できる商品イメージが一般に浸透していくことになる。 |
●「世のため、人のため、自分のため」に―。
 ▲現取締役社長・堀正典
 ▲社長自らが気合いを込めて手書きする新年度の標語
救心製薬株式会社では、認知度と信頼できるイメージを築く広告戦略だけではなく、『救心』そのものの信頼を高めるための努力も怠ってはいない。
2代目の社長となった堀泰助は、長崎医科大学薬学専門部(現在の長崎大学薬学部)卒であり、科学的な観点で生薬の効き目をきちんと確認しようと試みる。ほぼ単品の薬を扱う規模のメーカーで、一つの薬に対して、吸収や代謝、排泄までデータを揃え、文献集まで出しているのは稀だという。 「家庭薬とか置き薬といった伝統のある薬というのは、長く皆様に使われているから安心して服用できて、しかも効き目があるんだ、それだけでも十分だとは思います。でも、当社の場合は、それにプラスして薬である限りは、科学的な証明がなければお客様には勧められない、そういう2代目の考えをもとに、裏付けのデータを取っています」
家庭薬や大衆薬と呼ばれるものは、厚生省で認められる成分が入っていれば、品質のデータは必要だが、薬理や臨床のデータを取る必要がない。だが、『救心』は伝統的な家庭薬としては珍しく、自発的に科学的なデータを揃えているのだ。 「少し前から、薬の飲み合わせなども注目されてきて、さまざまなお問合せに対してもデータに基づいて回答ができています。また、積極的に広告を出したり、社員自身が安心してお客様に勧められたりするのも利点の一つです」
効き目があり、売れてきたからこそ、現在も製品として残っているのが家庭薬である。しかし、時代の変化とともに国の政策やユーザーの要求も変化していく。現状に甘んじず、一つ先まで見据えた取り組みをすること。それは、救心製薬株式会社の社是である「世のため、人のため、自分のため」の実現であり、ひいては理想としている「救病済生」につながるのだ。 |