●作品である前に、商品でなければならない
 ▲杉並区上井草にあるサンライズ本社ビル
サンライズの創業者は、初代社長である岸本吉功、二代目の伊藤昌典、三代目の山浦栄二、岩崎正美、渋江靖夫、沼本清海、米山安彦の七人。全員、虫プロダクションで中間管理職を経験したメンバーである。創業当時は、母体である株式会社創映社を共同出資会社・東北新社があった港区赤坂に置き、杉並区上井草には生産工場として有限会社サンライズスタジオを構えていた。
虫プロダクションから独立し、会社を創業するにあたって、メンバーが共通に持っていた思いは「健全な経営」を保つこと。作家としての手塚治虫には少なからぬ畏敬の念を抱きつつも、経営者としては反面教師であると捉えていた。
「アニメーターやシナリオライター、演出などのクリエイターは経営の中心に置かず、作品ごとにパートナーシップを結んでいく」 「TVアニメは作品である前に、商品でなければならない」「たとえ玩具メーカーの手先と言われようと、いま出来る限りのことをやっていこう」
 ▲株式会社サンライズのロゴ。名称の由来はわからないが、現在の日の出の勢いは社名を体現している。
当時、ノウハウがない上に、デザインが複雑なロボットアニメは、他のプロダクションはどこもやりたがらなかった。サンライズの創業者たちは、そこにビジネスチャンスを見出す。
とはいうものの、ものづくりに携わってきた各個人としては、ただ金儲けのためだけのアニメは作りたくない。その思いが自社オリジナルアニメを制作する原動力となっていく。
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●自分たちが作りたいアニメを作るために
 ▲株式会社サンライズ代表取締役社長 吉井孝幸
自社オリジナル企画の第1作目である『無敵超人ザンボット3』、第2作目の『無敵鋼人ダイターン3』ともに、スポンサーの要求に応え、玩具が売れたことで、信頼と評価を得ることができた。もちろんその中でも実験的な試みは絶えず行なわれていたが、制作スタッフが経験を積み、サンライズがプロダクションとして成長するとともに、そのエネルギーは既成の枠の中に収まりきれなくなる。
そこから生まれたのが『機動戦士ガンダム』だった。 「好きなように作らせて欲しい」 スポンサーである玩具メーカーに頼みこみ、制作は始まった――。
放映後の結果は、短期的にみれば惨敗だったが、それも今となっては『機動戦士ガンダム』における逸話の一つとして、語り種となっている。 余談ではあるが、放映当時は振るわなかったものの、のちにブームを巻き起こした例は過去にも何作かあった。『ムーミン』や『ルパン三世』、『宇宙戦艦ヤマト』など、今ではほとんどの人が知っているであろう作品も、その中のひとつである。
 ▲サンライズ本社内の現場の風景
「スポンサーを満足させるという大前提があって、ある程度それをクリアできたら、あとは自分たちの作りたいものを作っていく。そういう価値観がサンライズにはあって、今現在もそれは受け継がれています」 株式会社日本サンライズであった時代から、会社の成長を見続けてきた吉井社長は、そう話す。
ものづくりの現場において、制作と経営のバランスを保つのはどの企業でも難しい課題であり、サンライズはそういった意味でも成功している会社だといえる。
(参考『アトムの遺伝子ガンダムの夢』 参考文献『日本のアニメ全史』山口康男編著 テン・ブックス) |