●「サンライズ」アニメの源流
 ▲『無敵超人ザンボット3』 ('77.10.8〜'78.3.25 名古屋テレビ)
「アニメ版『サンダーバード』を作って欲しい」 『ゼロテスター』を企画する前にそう言ったのは、東北新社の社長・植村伴次郎だった。
株式会社創映社の共同出資会社である東北新社は、1961(昭和三六)年に創業。1966(昭和四一)年からイギリスのTV特撮人形劇『サンダーバード』を配給し、日本国内におけるライセンスを取得していた。NHKでの放映が話題を呼ぶとともに、関連グッズが爆発的に売れたことからキャラクター・ビジネスの先駆けともいわれている。
昨今こそ、TVアニメのスポンサーといえば玩具メーカーが筆頭にあがる。だが、当時は食品や文具メーカーが主流だった。1972(昭和四七)年の『マジンガーZ』の成功こそあれ、『ゼロテスター』を提案する時点では、まだ誰も予測していなかった時代の潮流を、植村は鋭いビジネス嗅覚でつかんでいたといえる。 「オリジナルのアニメをつくりたい」
サンライズ創業当時のメンバーはその一心で、玩具メーカーのスポンサーと組みながら、TVアニメを作っていく道を選ぶ。
巨大ロボットものは、1963(昭和三八)年10月に放映された『鉄人28号』を先駆けとして、合体ロボットでは1972(昭和四七)年の『マジンガーZ』が最初のヒット作である。しかし、その頃ロボットアニメの原作となるような漫画はほとんどなかった。否が応でもオリジナルのアニメを作らなくてはならない。
さまざまな意味において『ゼロテスター』は、SF・ロボット分野のオリジナルアニメで現在ナンバー1を誇るサンライズの源流となった。
株式会社日本サンライズとして独立した翌年の1977(昭和五ニ)年10月。初の自社オリジナルアニメである『無敵超人ザンボット3』を放映した。主人公を単なるヒーローとして捉えるのではなく、戦争が巻き起こす現実を描いた内容は、1979(昭和五四)年に放映され、リアルロボットブームの引き金となった『機動戦士ガンダム』の序章ともいえる。オリジナル作品は1作目の『無敵超人ザンボット3』、2作目の『無敵鋼人ダイターン3』、そして3作目の『機動戦士ガンダム』まで富野由悠季(当時、喜幸)が総監督を担当した。一環して「アニメは子ども向けのもの」という既成の概念を打ち破る作風は、サンライズのカラーとして今も定着している。 |