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メイドinスギナミ トップへ VOL.3 「アニメの社すぎなみ」構想 PDFデータ
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当時、東京ムービーの社屋があったビル近くにある日本住宅公団「阿佐ヶ谷住宅」の風景  

Philosophy 哲学

世界有数のアニメーション産業集積地へ――

1964(昭和三九)年、アニメーション制作プロダクションの先発大手である東京ムービーが、南阿佐谷にある阿佐ヶ谷団地の一角に設立された。のちに「オバケのQ太郎」や「巨人の星」、「ルパン三世」など数々の名作アニメがそこから生み出される。それを発端に、次々と関連会社が杉並区に設立され、現在約70社(平成十四年 日本動画協会調べ)が位置する、アニメーション制作プロダクション集積地となった。


●環境と共生できる豊かな文化産業として

第1回「アニメーションフェスティバルin杉並」の様子
▲第1回「アニメーションフェスティバルin杉並」の様子

「みどりの産業で元気のでる都市をつくろう」

2000(平成十ニ)年9月、これから区がどのような方向に進むべきかを定めた「杉並区21世紀ビジョン」の中で、目標の一つとして掲げられた項目である。
「みどりの産業」とは、環境に負荷が少ない情報や教育、介護などといった分野の産業を指す。その中でも杉並区独自の地場産業はないかと模索した結果、行き着いたのが「アニメ」であった。

子どもたちに夢を与える豊かな文化を持ち、音楽などを含めほぼ全工程において人の手で作られる総合芸術であり、環境への負荷もほとんどない。

「まずは、お互いのPRと連携づくりを目的としたお祭りを開催してみよう」

看板など出ていないところが多いアニメーション制作プロダクションを、つてを頼りに回って歩き、イベントへの参加・協力を仰いだ。同年11月後半、区内の賛同してくれたプロダクションや女子美術大学、NPOなどが集まり、実行委員会を結成。短期間の準備ののち、2001(平成十三)年4月、「アニメーションフェスティバルin杉並」が開催された。

2日間に渡って行なわれたイベントは、大きな反響を呼び、約1万3千人が来場、大成功を収める。

現在こそ、東京国際アニメフェアなどさまざまな場所でアニメ関連のイベントが行なわれているが、当時は前例のないことであり、主催者側も手探りの状態ではあったが、熱い期待を胸に取り組んでいた。

そして、このイベントを手始めに「アニメの杜すぎなみ」構想は、加速していくこととなる――。

●未来のアニメーション業界を担う人物を育てたい


▲「杉並アニメ匠塾」の課外授業の風景

第1回目のフェスティバル終了後、アニメーション制作の現場から聞こえてきたのは、深刻な人材不足の声だった。とくに著しいのは絵を動かす技術を持つ、アニメーターの不足である。この業界でもっとも特色のある仕事でありながら、厳しい労働条件の中、離職率が高く、人が思うように育っていない。このままでは、将来の日本のアニメーションを担う人物がいなくなってしまう。

行政の役割は産業の振興であり、環境の整備でもある――。そこで具体的に取り組まれたのが、「杉並アニメ匠塾」という人材育成プログラムであった。第1回目の募集・選考を行なった2002(平成十四)年6月、予想以上の応募とレベルの高い人材が集まったが、10月から実際の現場での研修が始まると、アッサリと辞めてしまう人があまりにも多い。
「苦労もあるが、喜びも大きい仕事。せめて3年〜10年は続けて、動画だけじゃなく、原画も手掛ける人材になって欲しい」

関係者は口を揃えて、こう語る。2005(平成十七)年度は8名の塾生が現在研修中。プロとして働いている卒業生の中には、努力が実り、原画を担当する人もでてきた。
「できれば、匠塾の塾生たちに『杉並アニメーションミュージアム』でオリジナルのアニメを作って欲しい。厳しい労働条件の中、余力があるかどうかわからないけど、なんとかがんばって自分の作品を作り、ゆくゆくはアニメ作家になってもらいたい。ひとつの歯車で終わらないでくれることを願っています」

ミュージアムの館長であり、アニメ業界の大先輩でもある鈴木伸一は、塾生にエールを送る。
今後への課題も少なくはないが、マイナーチェンジを繰り返しながら、「杉並アニメ匠塾」は明日のアニメ業界を担う人材を、これからも育てていく予定である。