●他の企業に真似できない「特殊」なことで勝負する
 ▲根本謙三 『根本特殊化学株式会社 60年の歩み』より
 ▲根本郁芳 (根本特殊化学株式会社 )所蔵
創業者である根本謙三が、根本郁芳に社長の座を譲ったのは1964(昭和三九)年。戦後の復興のシンボルとされる第18回東京オリンピックが開催された年であった。 幼いころから身体が弱かった謙三は、高等小学校を卒業後、ほとんど独学で三ヶ国語を身につけ、新聞小説の入選がきっかけで、読売新聞社の経済部記者、『子供の科学』編集者を務めた。ギリシャやローマの古代美術品をコレクションするなど、美へも高い関心を示し、夜光塗料の世界へ参入したのは、ビジネスとしての可能性以上に、神秘的な輝きに魅せられたからだともいわれている。
現社長である郁芳が入社したのは、1959(昭和三四)年。以前は、早稲田大学を卒業後、東京労働基準局に勤めていた。友人の勧めで謙三の娘とお見合いをすることになり、縁談は成功、謙三とも意気投合し、役所を退職、根本特殊化学への入社を決意する。
開戦とともに会社を創業し、戦後の渦中、誰も見向きしなくなった夜光塗料を買い占めるなど、天性の勘を頼りに、博打を打って荒波を乗り越えてきた謙三。 「同じことを繰り返していたら、事業の寿命は30年もたない」が、口ぐせだった。そして、その言葉を実践し、事業の多角化を図ったのが、現社長の郁芳である。
現在、根本特殊化学は夜光塗料で培った技術を核に、紙幣に使用されるセキュリティ用蛍光体製造技術、ガスや煙のセンサーをつくる放射線取り扱い技術、文字盤印刷技術といった基幹技術を持つ。だからといって、手を広げること自体に興味があるわけではない。 「夜光塗料」、そして他社と同じことはしない「特殊」へのこだわり、すべての根底はそこにあるのだ。 |
●足利尊氏の「花押」を社章に
 ▲足利尊氏の「花押」を採用した社章
謙三の出身地である足利市の縁で、1966(昭和四一)年に制定された社章。一見、帽子のように見えるが、鎌倉時代後期の武将、足利尊氏の「花押」である。古書をコレクションしていた謙三が、書中にあった足利尊氏の「花押」を気に入り、荻窪に住んでいた足利家の末裔を訪ね、許可をもらった。当初、足利高氏と名乗っていたなごりを残す「花押」は、「高」の文字を崩したものだという。 「花押」は、自らのものであることを証明するために、文書の最後に記される記号だ。そういった意味でも、昨今、特許を活かしたライセンスビジネスを世界的に展開する、根本特殊化学にふさわしいロゴとなっている。 |