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メイドinスギナミ トップへ VOL.1 根本特殊化学株式会社 PDFデータ
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写真:加藤アラタ  

products 結晶

ひときわ明るく輝く「夜光塗料」を目指して

子どもの頃、暗くなると光る玩具のおまけを、両手にすっぽりと包んで、指のすきまから覗いたことはないだろうか。時計の文字盤、リモコンのキーパッドなどに使用され、暗闇の中で黄緑色や青紫色に光る「夜光塗料」。
そのほとんどを、根本特殊化学がつくっている。


逆境から、「夢」の夜光塗料へ

若き日の村山義彦 『根本特殊化学株式会社60年の歩み』より
▲若き日の村山義彦 『根本特殊化学株式会社 60年の歩み』より

技術研究所内部 『根本特殊化学株式会社60年の歩み』より
▲技術研究所内部
『根本特殊化学株式会社 60年の歩み』より

湾岸戦争が開始した1991(平成三)年、創業から50年目を迎えようとしていた根本特殊化学に存亡の危機が訪れる。
「5年以内に放射性夜光塗料を全廃する」。最大の取引先でった精工舎(現セイコー)社員の発言をスクープした新聞記事が発端だった。

1954(昭和二九)年、ビキニ環礁での水爆実験で第五福竜丸が被爆。その事件後、放射能に対する社会の関心が高まり、同年、荻窪の桃井第二小学校でも東京初の「原水爆禁止署名運動杉並協議会」が行われた。
1960(昭和三五)年、ラジウムに代わる人体への影響が少ない夜光塗料として根本特殊化学は「N発光」を開発。0.5ミリのガラスで放射能を遮断でき、かつ半減期間が2.6年と短く、廃棄時の残存放射能の問題もない。さらに、ラジウムを使用するよりも明るく、価格も安い画期的な夜光塗料だった。しかし、1986(昭和六一)年4月に起こった、チェルノブイリ原子力発電所の爆発事故によって、環境問題への関心が一層高まり、時計メーカーから放射性夜光塗料は敬遠され始める。

5年以内に、放射性物質を含まない夜光塗料を開発する。根本特殊化学にとっては、社運をかけた闘いであり、長年の夢の実現でもあった。1953(昭和二八)年に入社した村山義彦(現相談役をはじめ技術者たちは連日連夜の実験を繰り返し、1993(平成五)年3月ついにその日を迎える。
「N夜光(ルミノーバ)」の誕生――。

放射性物質をまったく含まず、従来品の約10倍の明るさと残光時間を持つ、まさに「夢」の夜光塗料だ。そして、それは二十世紀初頭にドイツでラジウム夜光塗料が開発されてから、約100年間誰も到達できなかった偉業でもあった。

軍事用途から、日常に不可欠な光へ

電気炉で焼き上げた「N夜光(ルミノーバ)」『根本特殊化学株式会社 60年の歩み』より ▲電気炉で焼き上げた「N夜光(ルミノーバ)」『根本特殊化学株式会社 60年の歩み』より

根本特殊化学(当初、国際科学研究所)は、1941(昭和一六)年12月8日、太平洋戦争開始とほぼ同時に軍需を見込んで創業。
しかし、戦時中の夜光塗料は、船や飛行機のメーター、照準器などに塗る重要軍事物資として国の統制化にあり、請け負えたのは、兵隊の腕時計に塗装するような小さな仕事だけだった。

戦後、その意に反した経験が、民需転換を容易にし、根本特殊科学の発展を促すことになる。
そして現在、放射性物質をまったく含まない「N夜光(ルミノーバ)」の開発によって、時計の塗料としてはもちろんのこと、リモコンのキーパッドや文房具などの日用品、ペンタゴン(米国防総省)でも採用された避難誘導標識といった公共のものまで、夜光塗料は身の回りのありとあらゆる場所に使用できるようになり、その可能性を大きく広げている。