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100年の音色を刻む大田黒公園ピアノ物語
2010年1月31日の作業は、響板と脚元の外装部品の修復
−響板の修復−
響板は、ピアノの音色や響きを決める大事な要素となる一枚の木の板。この響板にひびが入っているため、埋木をする。使用する埋木材(薄く長い木のスライス)は、このピアノと同じく約百年前の別のピアノの響板から一枚一枚削り取ったもので、真横から見ると楔形になっている。この形が重要で、埋め込んだ後に圧力がかかって抜けにくく、響板の強度を上げるとのこと。埋木材が入る角度にひびの部分を少しずつ削っていき、埋木材を埋めて接合する。ちなみに、埋木材が新しい木だと、切られて百年経過している木より水分が多いため、経年で縮み率が高くなりまた新しいひびの原因になる。そのため、強度を維持するためには同じくらいの経年、同じ素材の木材を使うことが大事なのだそうだ。この響板の修復方法は、モーツァルトの時代に実際に行われていた手法そのままだという。
−外装部品の修復−
外装素材が剥がれ、バラバラになってしまっている部品を接合する。この工房で歴史的ピアノの修理に使われる接着剤は、ボンドではなく全て膠(ニカワは、動物の皮革や骨髄から採られる強力な糊)だ。茶色いザラメ砂糖のような外見の膠は、恐らく兎の脂が原料だろう。これを適度な濃度になるようお湯に浸けてふやかし、湯煎でかき混ぜながら溶かしていく。完全に溶けるまでには結構時間がかかり、獣の体臭独特の匂いが工房に漂う。膠は、すぐに冷えると固まってしまい接着しないので、接合する部分の木材を丁寧にドライヤーで温めてから一気に溶かした膠をブラシで隙間なく塗り接合し、急いでまた別の板の間にはさみ固定器具で固定する。横からはみ出た膠が固まらないうちに拭き取り、完全に接着するまで数日間置く。
この日の作業だけを見学していても、合理化され、マニュアル化された現代の生産システムとは対極にある、気の遠くなるような「手仕事」の連続。「こんな気の遠くなるような作業ばかりだと全然儲けになりませんね」との私の軽口に、山本氏は「でも、歴史に残る仕事だからね」と応じた。その職人魂に強く胸を打たれた。
<執筆>福島由美子
<掲載>2010.3.30
ついに始まった修復作業 フレーム外し
2009年12月13日、大阪府堺市の山本宣夫氏の工房を訪ねた。作業に当たるのは山本氏とアシスタントの波多野みどり氏のお二人。
約100歳というピアノを修復するには、現代のピアノの修復より更に繊細で専門的な知識と経験、技術が必要。山本氏はウィーン国立美術史美術館所蔵の歴史的なピアノの修復にも携わってきた、知る人ぞ知る歴史的ピアノ修復の専門家。安易に新しい部品を使わず、当時の音色と外観を再現できるよう、手間ひま惜しまず極力オリジナルの楽器の素材を活かしてピアノを再生していく。
まず、大田黒氏ゆかりのピアノの修復スケジュールの概要は以下の通り。
1.鍵盤を本体から外す
2.弦を外す
3.チューニングピン
(弦を響板に固定し音の高さを微調整する)を外す
4.フレームを本体から外す
5.響板のひびに薄い板をはめ込み修復する
6.フレームを本体に再び固定する
7.チューニングピンの埋まっていた穴に木を埋めピンを挿し直す
8.弦を張り直す
9.外装の寄木細工のはがれた部分を修理
10.調音、調律
この日の作業は、フレームをピアノ本体から外すところ。金属製のフレームは、88鍵分の何トンにもなる弦の張力から木製のピアノを守るための頑丈な枠で、重量は少なくとも150kgにはなる。1900年当時のヨーロッパに、楽器という贅沢品にもかかわらず、このようなしっかりしたフレームを製造しピアノに使う技術があったことに驚いた。
まず、フレームと本体を固定している数十個のネジを一つ一つ慎重に外していく。百年間一度も外されたことのないネジなので、サビが結構ついている。次にフレームの2ヵ所をしっかりとロープで固定し、工房の2階に備え付けてあるクレーンでフレームを引き上げる。ここでバランスを崩しピアノにぶつかろうものなら、ピアノの命は一巻の終わり。うまくバランスを取り無事ピアノから外されるまでの一時間ほどの間、ピリピリと緊張した空気が伝わってくる。
無事フレームが外された後の響板には、HER MAJESTY THE QUEEN-REGENT OF SPAINや、HIS MAJESTY THE KING OF ITALY、HIS MAJESTY THE EMPEROR OF RUSSIAなどなど、そうそうたるスタンプがずらり。日本で言うと「皇室御用達」のようなお墨付きの印だそうだ。
<執筆>福島由美子
<掲載>2010.1.28
修復の長き旅に出発
修復のための募金活動から約1年、目標額には達しなかったが杉並区の補正予算でピアノを修復することになった。スタインウエイは、脚を外され、全体に専用のキルティングなどで厳重に梱包されてトラックで修復作業所のある神戸へと出発した。当日は、写真のような快晴。デリケートな楽器を運ぶにはちょうどよい日よりであった。
現在、歴史的に貴重なピアノを専門に手がける専門の修復師により、このピアノに必要な各部材を海外から取り寄せしている最中との報告があった。100才以上のスタインウエイの修復は、部品一つにもこだわりと個性があり決して簡単な作業ではないが、来年春には美しく蘇り再び朗らかな音色で聴衆を楽しませてくれることだろう。
「没後30年特別展−大田黒元雄の足跡・西洋音楽への水先案内人」が、杉並区立郷土博物館で平成22年1月11日まで開催された。
<執筆>小泉ステファニー
<掲載>2009.11.21






