杉並の色んな人とで出会う

(5)サッカーと地域のつながりを考える−杉澤幹生さん


サッカーと地域 − 地域を作るサッカーのあり方

杉澤幹生さん

杉澤幹生さん プロフィール

サッカーワールドカップ(於メキシコ大会)の映像で感銘を受け、小学4年生の頃から東伏見にある東京サッカースクールにてサッカーを始める。
サッカーの名門、明大中野高校、明治大学サッカー部を経て、現在、杉並区より井草の森公園の芝生を受託管理する杉並アヤックスサッカークラブ(約170名所属)理事長および監督。
NPO法人日本スポーツターフ副理事。(杉並区および全国の競技用芝のコンサルティング、設置、管理も行う。日本サッカー協会認定B級ライセンス取得。
NPO法人 杉並アヤックス http://members3.jcom.home.ne.jp/mikiooffice/index.html
NPO法人 スポーツターフ http://nihon-sportsturf.com/index.html


サッカーと地域のつながりを考えるー杉並アヤックス誕生

管理を始めて半年後の芝

 サッカー観戦席そばから、「おい、こら!」と自分の子供に怒鳴る監督がいる、親はこの光景を目撃する、このようなサッカー教室がまだある、20年前と変わらない「根性論的なトレーニング」が。
1年生でも発言できるオープンな明大サッカー部の精神を享受してきた杉澤さんは、疑問を感じていた。「もうそういった非科学的なトレーニングは無意味だと知っていたし、まだ続いている教室がある、楽しく、早くうまくなるサッカー教室をつくりたい」これが、杉並アヤックス誕生のきっかけとなった。1995年のことである。
 当初は小学校6名だけで始まった杉並アヤックスは、地元のサッカークラブとして中学生部門、高校生部門と次第に大きくなっていった。しかし、試合と練習をこなす中で、杉澤さんが感じたものがある。「試合に勝ったって、地域は変わらない」都会の子供たちにはまともなスポーツ環境がない、そして地域の無理解さもひしひしと感じる。地域に根付くサッカークラブになるためにはどうしたらいいだろう、そう逡巡する杉澤さんの出した答えは。
 1年を通じて芝のグランドでサッカーを楽しめるように、日頃から練習場にしている井草の森公園のグランドを地域の理解と支援を得た上で自分たちの力で変えてみたい、それには何が必要なのかと杉澤さんは考えた。
 井草の森公園の芝生管理をどうしていくか。役所から実績を認めてもらうにはどうすればいいか。この課題に挑戦したいと考えた後は、Jヴィレッジのスポーツターフの更新作業に参加し、講習会で勉強した。国立競技場にお願いして管理者に講義を受け、その他あらゆるところで芝の育成、維持管理方法の技術の取得に励んだ。その様子は、杉並アヤックスSCのウェブサイトに詳しいので、ぜひごらんいただきたい。杉澤さんのまっすぐな向学心とタフな求道心を感じる。
 こうして2002年10月、杉並区から井草の森公園の散水の受託が始まり、朝4時半からの散水活動が始まった。2005年には実績を認められ、芝生の全面的な管理委託を受ける。その実績が認知され、あるスキー場で有名な地域から相談を受けることになる。
 スキーへの人気が下降する中、広大な地域に芝をはろうという計画は当初賛否両論だったそうだ。ところが結果的に、芝生は、四季を通じてサッカークラブの合宿や試合を呼び、さらに地元の人々の憩いの場を提供し、結果的に地域に年間6500万円の経済効果をもたらしたのだった。「でも金額じゃないんですよ。地元の人々の誇らしい顔。笑われちゃうかもしれないけど、こういうことにジーンとしちゃうんですよ。」と語る杉澤さん。サッカー、芝、地域、人々がつながる感動を刻んでいる笑顔だった。


明大サッカー部での活躍後の10年のブランク、そして

芝の張替え活動

 杉澤さんがサッカーに目覚めたのは、いわゆる第1次サッカーブームのころだという。1971年にメキシコで初めてのワールドカップの映像が、当時の有楽町そごうデパートで公開された。それを見た杉澤少年は、「サッカー、世界ではえらいことになっているぞ」と、その世界的規模に感銘を受けたという。サッカーの洗礼を受けたのだろう。小学校時代よりクラブチームでサッカーを楽しみ、明大中野高時代から、日本選抜選手も数多く在籍した明治大学サッカー部で活躍。元横浜マリノスの木村和志さんとは寮の同室仲間だ。同時代には、現日本サッカー協会の会長川淵さんが選手として名を馳せている。ところが、大学卒業後は、荻窪の家業を継ぐことに。当時は、サッカーで暮らしを立てていくことなど考えられない時代背景というものもあったのだ。33歳までサッカーとは縁がなくなってしまったものの、時代は変わっていく。そして、子供が生まれ「父親」になると、子供のサッカーを通じて再び脈を通じていくことになった。
 今、学校部活(特に中学校)が衰退している。指導者不足、環境不備(グランドが他のスポーツに占領され確保できない)、旧態然とした部活イメージの悪さなど、学校が地域に応援を求めにくいところもある等が要因と考えられている。昨今、やっと学校が、人材を求めて門戸開放するようになったものの、サッカーに関する限り、「やっと始まったのか?」と遅すぎた感がある。地域の人々、保護者の信頼と支援を得て、地域スポーツ倶楽部がようやく、日本で定着しつつあり、杉澤さんが再び縁を取り戻したサッカーは、そんな中でさまざまな波紋をよんでいる。


完璧を求めない

 欧州で使われている芝は、日本では「冬芝」と呼ばれることもあり、真夏の暑さに耐えられない。欧州では一年中青々として美しい芝を提供できるが、日本の夏には向かない。一方、アメリカ南部で使われるいわゆる「ティフトン芝」は寒さに弱い。この夏芝と冬芝の混合によって日本でも1年中芝をキープすることが可能になった。その他、さまざまな技術開発、品種改良が進んでいる。
 一方、杉澤さんは、現在の管理上の問題点も指摘する、「完璧を求めすぎるところが多い」と。常に青々として雑草の生えていないグリーンづくりを目指してしまうため、予算が何倍にも膨らんでしまう。管理費も膨大なものとなる、「立ち入り禁止」の札も立てざるを得ない。ヨーロッパの芝生をよく見てください、雑草が混ざっているでしょう。それでいいんです。完璧なグリーンを目指すことで芝をあきらめるよりも、より広く、そして人々がいつでも集える雑草と共存する芝生のグラウンドの方がいいじゃないか、と芝のグラウンドへの意識改革を求めている。


芝、人、地域の輪

スロベニア・トルコ遠征

 杉並アヤックス監督としての杉澤さんの語るサッカー指導論は、子供たちの教育論の基本である。
アヤックスでは、試合は全員出場できるように組み合わせを考えてある。試合に出れば自分ができない技術が何か分かる、その技術をできるようにしたいので練習場に通う。この繰り返しが楽しさを誘う。試合は全員出場、次々入れ替わりながら自分の課題を自分で気付く、そのうちに闘争心が生まれる。杉澤さんはこう語る。「日本古来の武道は、『道』であり克己を追及するもので、それには芝生は無用だが、『スポーツ』は違う。スポーツは楽しむためにあるものであって、そのためには芝生が必要なのだと思うんです。楽しむために「芝生」が必要だということを分かってもらいたい。見事な比較文化論である。
 サッカーの試合に勝つだけが目標じゃない。サッカーを通じて、人が育ち、地域が育つ。「道」を究めるためには芝はいらないが、スポーツは芝を必要とする。芝生が人々を呼び、人が集う。そこにコミュニティが育つ。J-リーガーが出るかもしれない、サッカーのサポーターが増えていくだろう、そして、その人々がまた芝を育て、そこに人々が集まる。何よりも杉並区をいろいろな形で支える人々が育っていく。杉澤監督が蒔いているのは芝の種だけではないのである。

−2006年5月25日掲載−



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