4.公民館運営構想と初期の講座活動

公民館は民主社会と世界平和を守る基地

館長となった安井は、『月刊社会教育』に「これは私たちの社会教育の基地です。――公民館を訪れる人々に、いくらかのユーモアをまじえて、いつもこう説明している。悪夢のような太平洋戦争のあと、はげしい混乱と動揺の中で、日本の過去をきびしく反省し、日本の将来をつきつめて考えた。その結論のひとつは、民主主義と平和主義を日本のすみずみまでゆきわたらせるために、あらゆる地域で正しい社会教育を行なわねばならないと言う事であった。おざなりなものであることをゆるされない。それはなによりも真実に徹したものでなければならない。まずその地域の諸条件を精密に分析し、それに応じた教育方針をあみだすことが必要であると信じている。このような実践のなかで、公民館を社会教育の基地とよぶのである。それは軍事基地とちがって、戦争のためのものではなく、民主社会と世界平和を守るための基地なのである。」と書いている。

安井の公民館運営構想は、『民衆と平和-未来を創るもの』から要約すると、以下のような特長があった。
・事業は社会教育法を基本に行ない、文化区としての地域性を持つものにする。
・社会教育は、一朝には成らない民主主義社会の基礎工事である。それは時には大学教育より難しい技術が必要で、共に学ぶ姿勢がなければ成り立たない。
・杉並在住の文化人たちの活躍する場にする。杉並が「文化人の寝床」であるという状態を打破するには自治体の理事者側と文化人側の双方からの真剣な努力が要望される。高木区長が常にいわれるように「文化人の活動舞台を準備するのは理事者の役割」である。
・図書館も公民館も各所に、歩いて通えるところにあるとよい。そうすれば、人々のものとなり、親しまれるようになる。
・集まりを持ちたい地域の人々のニーズに合った集会の場を提供する。
・図書館と協力して成人学級を開設する。
・婦人たち、特に母親たちの学びたいという気持ちによりそった事業をする。

公民館講座室の様子

公民館講座室の様子

婦人が社会科学の本を読む自主的な会「杉の子会」

安井の公民館構想にあった母親たちの学びたいという気持ちによりそった事業として、社会科学の本を読む地域婦人たちの自主グループ、「杉の子会」が始まった。この事業開始に至るまでのことを、安井は『民衆と平和-未来を創るもの』の中で、以下のように語っている。
「PTAでの母親たちとの接触が機縁となって、行動半径はようやく、婦人団体にまでおよぶようになり、いくつかの団体に招かれて講演をしたり、教育問題そのほか様々の問題について立ち入った相談にのったり、真剣な、社会的に伸びようとする気持ちのあるのを感じ、新鮮な芽があるこの芽がすくすくとそだつように協力する必要がある。これが婦人を中心とする教育の分野に足を踏み入れていった動機だ。婦人、特に母親たちの間に、子どもの幸せを守るためにも、世の中のなりゆきを考えるためにも、いまこそほんとうに勉強しなければならないという希望が自然にわいていることをはっきりと見てとることができた。けれども母親たちは、はじめはどうしてよいか見当がつかなかった。そこで多くの方が相談にこられた。」

1953(昭和28)年11月7日、24名が参加して「杉の子会」がスタートした。会の名前も民主的に決めることとし、皆で案を出し合って、童謡「お山の杉の子」からとった。この後10年間に亘って、『新しい社会』を含む10冊の本を、毎月第1土曜日の午後に読んだ。

こうした「杉の子会」の活動と発展について、安井は同書に次のように書いている。
「杉は1本だと大きくならないが、並んで立っていると大きく伸び育つと、ある婦人はいったが、会員は2回目には50人になり、3回目には70人になり半年後には定員を限度いっぱいの100人にひきあげても、欠員が生じた場合の補充になった。その指導にあたっては、周到な用意と細心の配慮が必要で、具体的な例をあげると、『新しい社会』のなかで、E.H.カーは“産業革命”のことにふれているが、それを私が読書会のとき解説するのはやさしいこと。しかし、私はあえてそのような方法をとらず、なるべく自分でそれを調べてもらった。それによって得た知識は身につくのだ。まわりくどい根気づよい助力が必要だ。」

「杉の子会」が『新しい社会』を読みはじめて数ヶ月経ったちょうどその頃、1954(昭和29)年3月1日にビキニ事件があり、母親たちの純粋に平和を願う気持ちが、水爆禁止署名運動に向かっていった。

「杉の子会」機関誌 『杉の子』 NO.12(杉の子読書会発行 1967年6月)の表紙

「杉の子会」機関誌 『杉の子』 NO.12(杉の子読書会発行 1967年6月)の表紙

『杉の子』 NO.12 p.2-3安井田鶴子による「杉の子会」紹介文と、読んだ本10冊のリスト

『杉の子』 NO.12 p.2-3安井田鶴子による「杉の子会」紹介文と、読んだ本10冊のリスト

公民館で行われた講座活動を大別する

公民館での学びの重要な目的は、真実を見抜く眼と公正に判断する力を人々にもってもらうことだった。誰にでも開かれた場として講座を開設する必要があった。

公民館開館から閉館までに開催した講座は、以下の三期に大別される。
・第Ⅰ期 1954-1962年(昭和29-37年)
・第Ⅱ期 1963-1974年(昭和38-49年)
・第Ⅲ期 1975-1988年(昭和50-63年)

第Ⅰ期の活動は、館長の安井が企画した「公民教養講座」が開催された。1979(昭和54)年に発足した学識経験者を含む「杉並区立公民館を存続させる会」により歴史が掘り起こされ、発刊された『歴史の大河は流れ続ける(1)~(4)』にまとめられている。

第Ⅱ期は、約10年間、1972(昭和47)年まで公民館職員と区民有志による企画で、講演と映画の会が実施された。この期間については、『公民館の歴史をたどる』に記載がある。1973(昭和48)年度に成人学級教養講座「子ども文化-読書指導を中心として-」という読書指導中心の20回の講座が組まれ、1974(昭和49)年度には、教養講座「近代日本の歴史と私たち-歴史の見方と生き方を考える」のテーマのもと、10回の講座が開かれている。そこには区民が関わっていく萌芽が見られた。

第Ⅲ期の活動は、区民で構成される企画運営委員会が中心となって自発的に企画運営され、活動記録を区民たちが『記録文集』※として発行した。第Ⅲ期の活動は、「5.区民企画・運営の講座活動についてとまとめ」で詳しく紹介する。

※合本『平和 公民館講座の記録Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ 』(杉並区立公民館)公民館講座企画運営委員会

「公民教養講座」 安井の連続講演「世界の動き」最終記念集会の案内チラシ

「公民教養講座」 安井の連続講演「世界の動き」最終記念集会の案内チラシ

村岡 花子ゲスト講師の時のチラシ

村岡 花子ゲスト講師の時のチラシ

清水 慶子ゲスト講師の時のチラシ

清水 慶子ゲスト講師の時のチラシ

第Ⅰ期の活動

第Ⅰ期で実施された「公民教養講座」には、次のような特色があった
1.安井が核となって講座が組まれ、ゲスト講師として当時第一級の人々が各専門テーマについて講演した。(年表2参照)
2.毎月第3土曜日に行なわれ、午後1時からは音楽鑑賞(レコードコンサート)の時間があった。選曲は安井によるものが多く、「戦後数年間に一般的に広まった作品が適宜選ばれたということではないでしょうか。ドイツ系の交響曲に類するものが多いです。」(国立音大名誉教授 小林緑談)
3.午後2時からは約2時間、二つの講演が行われた。ゲスト講師による講演と安井自らによる連続講座「世界の動き」で、当時の世界情勢を解説し、その意味を考える内容となっていて、国民的視野に立ち、現代的思想と研究の第一級水準に立脚した系統的なものであった。1954(昭和29)年4月から1962(昭和37)年6月まで計100回に及び、定期的に開催された。

第Ⅰ期の受講者の声
・公民館は私の勉強の場であった。
・人間のありかたの真実を求めて学ぼうとする私は、今も杉の子の生徒である。
・『新しい社会』を読み、ようやく新しい社会のあり方がわかり始めたころ、ビキニ事件が起き、国民の気持ちのあらわれだった水爆禁止署名運動に杉の子会員も進んで参加した。
・11年目は毛沢東の『矛盾論』だった。形而上学とか弁証法とか、ちょっと聞いただけでも頭の痛くなるような言葉がつぎつぎ出てくるこの本は、とても難しかったが、卵と石ころの例え話など身近にあてはめて考え、得るところがあった。
・講座の前の午後一時からレコードによるクラシックの名曲が聴けた。「文化」にはまだ恵まれない世相だったが、うるおいを求めてこの時間にも間に合うように努めた。

PDF:年表2:第Ⅰ期「公民教養講座」年表(1954年-1962年)(266.1 KB )

公民館講堂の様子

公民館講堂の様子

「杉並区立公民館を存続させる会」によりまとめられた第Ⅰ期の記録集<br>『歴史の大河は流れ続ける(1)(2)(3)(4)』

「杉並区立公民館を存続させる会」によりまとめられた第Ⅰ期の記録集
『歴史の大河は流れ続ける(1)(2)(3)(4)』

DATA

  • 最寄駅: 荻窪(東京メトロ丸ノ内線)  荻窪(JR中央線/総武線) 
  • 出典・参考文献:

    『月刊社会教育』(国土社) 1958年6月号
    『新しい社会』 E.H.カー著 清水幾太郎訳(岩波新書)
    『歴史の大河は流れ続ける(1)(2)(3)(4)』 杉並区立公民館を存続させる会 1980~1984年

  • 取材:林美紀子・森内和子・安井節子(五十音順)
  • 撮影:写影堂・TFF
  • 掲載日:2015年03月23日