【特別寄稿】 泉 麻人さんの杉並散歩

方南町から東高円寺へ

2014(平成26)年、「すぎなみ学倶楽部」の執筆を担当する区民ライター養成講座で、泉麻人さんをナビゲーターに迎え、取材実習を行いました。普段気にすることのない杉並区と中野区との境を歩いて行くと、意外と知られていない見どころに気づかされます。
泉麻人さんの感性と観察力に富んだユニークな散歩コラムをお楽しみください。

古典的な定食屋に懐かしいテレビドラマを思い出す

「杉並と中野の区境あたりの散歩コースを案内してくれないか?」とスタッフから依頼されて、思い浮かんだのが方南町の周辺。この辺は歴史に絡(から)んだおもしろいスポットが散在している。
 区民ライターの人たちと方南町の交差点で待ち合わせて、まずは方南通りをちょいと東進。すると「峰」という京王バスの停留所が立っている。峰とはこのあたりの古い小字(こあざ)の名称で、遺跡の名にも残っている。ただし、このバス停、頂きの方は、「峰」、胴体の方は「峯」と表記が違う。ま、どっちでもいいけれど、おそらく別々の業者に発注したのだろう。
 なぁんて京王バスの内部事情なんぞを想像しつつ、バス停手前の商店街(方南銀座)を南下していく。装飾タイルが張られた道づたいには、背の低い素朴な店が並んでいるが、方南町に地下鉄の駅ができたのはオリンピック2年前の昭和37年だから、それ以降に発展した商店街だろう。すぐ向こうの環七沿いに70年代の青春ドラマ「俺たちの旅」の下宿屋に使われたアパートがごく最近まで存在したと聞いたが、この通りにもカースケ(中村雅俊)やオメダ(田中健)たちがやってきたような古典的な定食屋がある。

「雑色田んぼ」とよばれたこのあたりは中野区随一の水田地帯だった

 ゆるやかな坂を下ると、神田川の橋際に東通寺が門を開けている。この寺は「釜寺」の別称で知られているけれど、門前の道端に祀られた身代り地蔵こそ釜寺伝説のもとになった物件。童話でおなじみの(安寿と)厨子王が山椒太夫に釜ゆでにされそうになったとき、身代りとなったお地蔵さまなのだと言う。そして、境内に入っていくと、本堂の屋根にも釜のオブジェが載っかっている。
 神田川ぞいをしばらく歩いていくと、中野区南台の領域に入る。この辺、昭和30年代の頃までは雑色(ぞうしき)町と呼ばれ、川際の一帯は「雑色田んぼ」という中野区随一の水田地帯だったのだ。地図を見ると、区の境界線がギザギザに入りくんでいるけれど、たぶん昔の田んぼの地割の名残だろう。東方の丘上に建つ多田神社に「雑色」の名の由来が記されている。雑色の地名は各地にあるが、ここでは大宮八幡の造営に従事した人々の料地を意味するようだ。そもそもこの神社は、奥羽征伐に勝利した源頼義、義家の父子が、大宮八幡に凱旋の参拝をした折に多田満仲公の祠を置いたのが発祥という。古地図をたどると、この門前の道はさっきの峰バス停の所を通って、大宮八幡へとつながっている。つまり 、鎌倉街道の一つ。
 神社の横道を北上すると、方南通りの向こうに地下鉄(東京メトロ)の広大な車両基地がある。ここについては後述するとして、さらに北へ行くと立正佼成会の施設群に行きあたる。環七寄りの方にランドマークの大聖堂や普門館があるけれど、今回のコースで通りがかったのは年季の入った木造の立正佼成会の本部。ココこそ、昭和13年、創設者・庭野日敬(鹿蔵)が会を立ちあげた道場なのだ。

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「釜寺」の記事(サイト内リンク)
「立正佼成会 大聖堂」の記事(サイト内リンク) 

多田神社

多田神社

立正佼成会大聖堂 

立正佼成会大聖堂 

あまり知られていないが、いわゆる文教地域がある

 佼成会地帯を北上していくと、女子美術大学がある。当日はキャンパス内のミュージアムでマニアックな活字道具の展示会を覗き見したが、この女子美の北方には新渡戸稲造文化学園(ひと頃の東京文化短大)、青梅街道の向こうには光塩女子学院、先の佼成会関係の学校も含めて、ちょっとした文教地域ともいえる。
 さて、今回の散策のゴールは青梅街道の東高円寺駅前に広がる蚕糸の森公園。もとは蚕糸試験所という生糸産業の時代の国営施設が置かれていた場所で、門と旧棟の一部が環七寄りの一角に残されている。昭和12年、ここにこういう施設が設置されたのは、やはり青梅街道の地勢に関係しているのだろう。多摩の養蚕地帯と都心を結ぶ重要なルートだったのだ。
 ところで、試験所時代の門のすぐ脇に大きな石灯籠が立っているが、これは堀之内妙法寺の参道口を表わす灯籠なのだ。いまは見落としそうな横道だが、環七ができる前は青梅街道から妙法寺へ入っていく玄関口で、方南町の方へ行くバスもこの道を走っていた。

蚕糸の森公園

蚕糸の森公園

後日、東京メトロの車両工場を見学

 日を改めて、東京メトロの車両工場の見学にやってきた。ちなみに、ここは中野区弥生町の領域で、杉並との区境になっている善福寺川と神田川の合流点が敷地のすぐ脇にある。
 無数の線路に目につくのは、銀に赤帯の丸ノ内線車両だが、この日はちょうど銀座線の新車両1000系を外から般入する作業に出くわした。昭和初期の車両をイメージした黄色い、丸みを帯びた車両は、往年の銀座線を知る者にはちょっとうれしい。
 ところで、ひと昔前までここは丸ノ内線専用の車両基地だったはずだが、いまは銀座線も管理している。開設は昭和36年というから、翌年開通する丸ノ内線方南町支線の建設に伴なって置かれたのだろう。先にも書いたけれど、それまでこの一帯は一面の田んぼだった。興味がある方は、杉並区立郷土博物館から出ている杉並の古地図セットで、「昭和33年」の地形図を眺めてみるといい。善福寺川と神田川のまわりに「 ||(田んぼ)」のマークが散らばっている。
 といった地形を考えると、心配なのは水。「大雨で冠水したことは?」と伺ったところ、やはり2度ほど車庫の電車が水に浸ったらしい。が、環七地下にあの巨大な貯水施設なぞが整備されて以降、そういうこともなくなった。
 当日は、20トン余りの重さの車両をクレーンで吊りあげて台車の点検を行なう、ダイナミックなUFOキャッチャー的作業も見物することができたが、へーっと思ったのは、独特の鉄道(部品)用語。丸ノ内、銀座の両線は線路側から電気を取るので、車輪の脇に集電用のコンセントみたいな器具が付いている。コレ、集電靴(しゅうでんぐつ)というのだ。なるほど、おもえば車両の靴にあたる部分。なんだか可愛らしい。
 動体保存されるという、1983年製の01系1号車が車庫の片隅に停まっていたが、僕の世代としては、その前の赤色ボディーに白帯とウェーブ模様を配した300形や500形をもっと保存して欲しかった。この旧型車両、日本ロケが敢行された007映画「007は二度死ぬ」のなかで、東京のスパイ基地へ行く秘密装置として登場するが、方南町へ行く支線を使ってロケされた…と関係者に聞いたことがある。ジェームス・ボンド(ショーン・コネリー)もこのすぐ近くまで来ていたのだ。

善福寺池から始まる善福寺川は、この辺で合流し神田川となる

善福寺池から始まる善福寺川は、この辺で合流し神田川となる

DATA

  • 最寄駅: 方南町(東京メトロ丸ノ内線)  東高円寺(東京メトロ丸ノ内線) 
  • 取材:泉麻人
  • 撮影:写影堂
  • 掲載日:2014年11月25日