3.養蚕について学べる施設

杉並区立郷土博物館の養蚕道具

杉並区立郷土博物館本館(以下、郷土博物館)には様々な養蚕道具が展示されている。蚕に桑を与えるときに使う桑給台(くわくれだい)や、繭から糸を巻きとる座操り(ざくり)など約30点。大正から昭和時代に使用されていた品々である。
このうち区内で見つかったものは少数だが、柄の長い桑ばさみは杉並ゆかりの品だ。郷土博物館の学芸員は次のように語る。「ふつう養蚕を行う地域では背丈の低い桑を育てていました。杉並は明治20年代から大正期の短期間に盛んであったため具体的な管理方法は詳しくわかっていませんが、このはさみの柄の長さから考えると高い桑の木から枝ごと切っていたのではないでしょうか。」
展示室の真ん中にある大きな機織機(はたおりき)は、近辺から購入した物である。「区内で見つかった機織機は、これよりも1mほど短いものでした。絹を織るときには、すべりやすい生糸をたるみにくくするため、このような長い機織機を使用します。区内にあった短い機は綿織物用だったと思われます。」八王子などでは生糸を反物にして売っていたが、杉並では繭のまま業者に渡していたと言う。『杉並区史』を見ても、1882(明治15)年の東多摩郡(今の杉並区・中野区)の産額は、繭が726,000円、生糸が31,000円と、繭のほうが圧倒的に上回っていた。郷土博物館には繭を量って売るための繭枡も展示されている。
だが、「明治後半になると杉並でもよく生糸をとっていた」そうで、上井草の農家を解体する際に調べたところ、座繰りにはめる糸繰枠がたくさん見つかった。このうちのいくつかは絹糸が巻かれた状態のままであった。また、同じ農家から「蚕養大明神」と書かれたお札も発見されている。蚕が病気にならないように、神仏に頼りながら大切に育てていた当時の思いが偲ばれる品だ。

絹を織るのに使われた機織機

絹を織るのに使われた機織機

杉並で使用されていた柄の長い桑ばさみ

杉並で使用されていた柄の長い桑ばさみ

上井草の農家で見つかった座繰りと糸繰枠

上井草の農家で見つかった座繰りと糸繰枠

「蚕養大明神」のお札

「蚕養大明神」のお札

蚕室であった、郷土博物館の長屋門

養蚕道具は郷土博物館の入り口にある長屋門に展示されている。この門はもともと、大宮前新田の名主を代々務めていた井口桂策家の表門で、文化~文政時代(1804年~1830年)の建物を解体・復元したものだ。井口家の表門は建立当初、納屋と蔵屋の2室であったが、1898(明治31)年頃には3室に拡張され、蚕室として使われていた。学芸員によると「蚕室だった頃は蚕を温かく育てるための炉がありました。また不確定ながら屋根に煙だしの窓が開いていた話も伝わっています。」とのこと。杉並区教育委員会発行の『井口家の長屋門』という本には、長屋門の建設当時から解体前までの変遷図と、炉跡の写真が掲載されている。

杉並区立郷土博物館では、養蚕道具と長屋門を見学できるほか、蚕糸試験場について書かれたパネル等の展示もある。杉並の養蚕について調べるときに、まず訪ねたい施設である。

■杉並区立郷土博物館
住所:東京都杉並区大宮1-20-8
電話:03-3317-0841
開館時間:9:00-17:00
休館:月曜・第三木曜(祝日と重なった場合は開館、翌日休館)、12月28日-1月4日
公式ホームページ:http://www.city.suginami.tokyo.jp/histmus/

長屋門(背面より撮影)。写真右側の蔵屋が養蚕道具の展示室になっている

長屋門(背面より撮影)。写真右側の蔵屋が養蚕道具の展示室になっている

長屋門の変遷図(『井口家の長屋門』より)

長屋門の変遷図(『井口家の長屋門』より)

解体前に撮影された明治時代の炉跡(『井口家の長屋門』より)

解体前に撮影された明治時代の炉跡(『井口家の長屋門』より)

井荻村の養蚕道具を遺す井草民俗資料館

井草八幡宮内にある井草民俗資料館には、氏子や近隣の旧家より寄贈された民俗資料600点が収蔵されている。この地域はかつて養蚕が盛んな井荻村だっただけに、展示物の中には養蚕道具も数多く見られる。桑切鎌や葉を細かくする桑葉切、糸をとるための座操りや鍋など十数点。井荻村にあった養蚕組合・弘進社の奉納した繭の献上額も飾られている。昔の蚕種紙が蚕の卵のついた状態で展示されているのが興味深い。弘進社の主催者、大沢初蔵氏は馬で長野に蚕種紙を買いに行ったそうだが、蚕種紙のうち1枚は住所が長野県であった。

この井草民俗資料館には、養蚕道具以外にも米作や茶栽培の農具、家具、衣服、玩具など日常生活に用いられた道具が展示されており見ごたえがある。また、秋の例祭日には神社の境内にある文華殿で、重要文化財の「顔面把手付釣手形土器」や杉並区指定文化財の板絵も公開される。

■井草民俗資料館
住所:東京都杉並区善福寺1-33-1
電話:03-3399-8133
開館時間:10:00-15:00
開館日:4-7月・9・11・12月は第1日曜、8月は第4日曜、10月は別棟にて企画展
公式ホームページ:http://www.igusahachimangu.jp/index2.html(井草八幡宮)

▼関連ページ
文化・雑学/寺社/井草八幡宮(サイト内リンク)

井草八幡宮の敷地内にある井草民俗資料館 

井草八幡宮の敷地内にある井草民俗資料館 

桑葉切。蚕の成長に合わせて桑の葉を切って大きさを変えた 

桑葉切。蚕の成長に合わせて桑の葉を切って大きさを変えた 

2種類の蚕種紙。サイズはA3用紙くらい

2種類の蚕種紙。サイズはA3用紙くらい

次大夫堀公園民家園-蚕の飼育と糸とり

郷土博物館や井草民俗資料館に展示されている昔の養蚕道具は、どのように使われていたのだろうか?
世田谷区にある次大夫堀公園民家園では、10年以上前から春と秋に蚕を育てている。養蚕道具の使用方法を知るため、秋蚕と糸とりの様子を見せてもらった。

給桑(きゅうそう) 2014年9月25日
9月初めより飼育している蚕は、この日、3~4齢幼虫(※)に育っていた。エビラという籠の上でさかんに桑の葉を食べている。蚕は新鮮な葉を好むので、「給桑」という桑の葉を与える作業を1日に2、3回行うほか、古くなった葉や糞の掃除をしなければならない。新しい葉を敷いたエビラに蚕を1匹ずつ慎重に移していく作業が大変そうであった。

糸とり 2014年10月5日
「まぶし」と呼ばれる枠の中に2.5cmほどの繭ができていた。この繭から糸をとる作業を見学する。
(1)煮繭
鍋をかまどの火にかけ、湯が97度になったところで繭を投入。蓋をして1分、蓋を外して30秒ほど煮る。蚕が繭を作るときに出すセリシンという接着物質を溶かして糸をとりやすくするためである。
(2)糸とり
鍋を火から下ろし、湯に水を加えて60度まで冷ます。ミゴボウキという小さなほうきで湯に浮かんだ繭をかき混ぜると糸が絡まってきた。それらを何本かより合わせ、座操りを使って糸繰枠に巻きとっていく。湯に浮かぶ繭玉が糸を引かれながらクルクルまわり、『杉並区史』に「(繭が)踊る」と表現されていた状態がよくわかった。糸が途切れないように、巻き終わったら次の繭から継ぎ足してと、技術と根気のいる作業である。糸とりをしていた「綿と糸の会」のボランティアから、「当時の作業がいかに大変だったかがわかる。だから着物を継ぎはぎして大切に着ていたのでしょう。」との声が聞かれた。

次大夫堀公園民家園では、春と秋の養蚕のほか、江戸時代後期に建てられた養蚕農家の建物や、足踏み式の糸繰りなどの民具を見ることができる。世田谷区教育委員会の松浦さんは、「民家園は実際に生きている蚕や繭を作っている様子を見られる数少ない施設の一つです。今後はとった生糸を機織りなどにも活用していきたいと思っています。」と語る。
『せたがやの養蚕』によると、世田谷も明治20年代には養蚕農家が増え、繭の収穫量も多くなったそうだ。ちなみに、1925(大正14)年の砧村(現在の世田谷区西部)の養蚕農家戸数は165戸。豊多摩郡で一位を記録した1915(大正4)年の井荻村の205戸には及ばないが、かなり盛んであったことがわかる。

※蚕は約1ヶ月かけて1齢から5齢幼虫に成長し、繭になる。

■次大夫堀公園民家園
住所:東京都世田谷区喜多見5-27-14
電話:03-3417-8492
開館時間:9:30-16:30
休館:月曜(祝日の場合営業)、12月28日-1月4日(元日は特別開園)
公式ホームページ:http://www.city.setagaya.lg.jp/shisetsu/1213/1265/d00122208.html

次大夫堀公園民家園

次大夫堀公園民家園

古くなった葉や糞の掃除をする「給桑」

古くなった葉や糞の掃除をする「給桑」

かまどで繭を煮る

かまどで繭を煮る

座繰りで糸をとる

座繰りで糸をとる

DATA

  • 取材:西永福丸
  • 撮影:西永福丸
  • 掲載日:2015年01月26日
  • 再取材日:2016年06月28日