買い物かご

買い物のよきおとも-「買い物かご」

買い物籠をさげて歩く女性の姿を見かけなくなって久しくなりました。
かつては、近所に商店街があり、ちょっとそこまでの距離だからこそ、エプロンとつっかけで、買い物籠をさげて出かけられたのかもしれません。

そんな買い物にまつわる思い出を、杉並区南荻窪在住の主婦の井上知子さんに伺いました。

今の荻窪タウンセブンのある場所は、太平洋戦争後にできた、新興マーケットといって、バラックのマーケットでした。
戦後の「闇市」と呼ばれたマーケットのひとつで、八百屋、魚屋はもとより、乾物屋、漬物屋、荒物屋、餅菓子屋、鞄屋、洋品店などが、狭い通路を挟んでぎっしり並び、あそこに行けばなんでも揃いました。

「つま信」といいましたか、赤芽や木の芽を扱っているお店があったりして、あれこれ選んで買うのは楽しかったですね。入り口にあった露天の貝屋さんは、顔見知りになると、「乳母車置いていっていいよ。ついでに、子どもも置いてきな」なんて声をかけてくれて、甘えて乳母車を置かせてもらったり、温かい雰囲気でした。

昭和56年(1981)にタウンセブンができると、ほとんどの店がビルの中に入ったようですが、「さとう」のコロッケ屋は、ビルに入らず、天沼のほうにひっこんでしまいました。そこのコロッケの味が忘れられなくて、わざわざ天沼まで買いに行ったこともありました。

買い物籠  西田小学校郷土資料室・展示資料

買い物籠  西田小学校郷土資料室・展示資料

マーケットでバナナのたたき売りをしている様子<br>写真:松葉襄氏撮影・提供(荻窪百点編集長)

マーケットでバナナのたたき売りをしている様子
写真:松葉襄氏撮影・提供(荻窪百点編集長)

息抜きも買い物の楽しみの1つ

子育て中は、毎日買い物に行きました。新興マーケットの次によく行ったのは、近所の本町通りの商店街です。

そこにも八百屋、米屋、床屋、ラーメン屋など、一通りの店がありました。その他に、野菜の引き売りの軽トラックも利用しましたし、門の中まで来てくれるなじみの豆腐屋さんもありました。

その日の献立や、家事の都合によって、買い物の方法を選べたので、かえって今より便利だったかもしれません。

それから、両親と3世代が同居していたので、買い物は貴重な息抜きの時間でもありました。もう時効でしょうが、実は、買い物帰りに、コーヒー屋さんへ寄って、文庫本を読むのが楽しみでした。もちろん毎日じゃなく、ごくたまに行くだけ。それも時間を気にしながら、ほんの十分程度、脇には買い物籠からむきだしの大根がのぞいていたりするから、生活感いっぱいのコーヒータイムでした。けれども、そんな時間を持つことで、波風を立てることもなく、家庭と自分の生活に折り合いをつけていたのだと思います。

平成になって蘇った手提げ袋(マイバッグの普及)

当時は、八百屋は「ひと山」単位、魚屋もアルミ皿に魚が盛ってありましたから、トレーなんかありません。
欲しい分だけ新聞紙に丸めてくれて「ハイ」と渡されるので、買い物籠は必需品でした。買い物籠ひとつでは、収まらないこともあったので、おりたためる手提げ袋も持ち歩いていました。

娘の小学校の女の先生も、手提げ袋愛用派で、いつもバックの中に忍ばせ、「仕事帰りにこれで買い物をするのよ」とおっしゃっていたのを覚えています。学校に買い物籠はさげていけませんから、働く女性の知恵だと感心したものです。

ところが、いつの間にかスーパーがあちこちにできて、袋をくれるのが当たり前になると、わざわざ買い物籠や手提げ袋を持ち歩くのは、時代遅れになりました。わたしなどは、買い物のたびに新しいレジ袋をもらうのはもったいないので、古いレジ袋をスーパーに持参していましたが、「これを使ってください」とは言いにくい雰囲気がありました。

店員さんが気を悪くしないように、なるべくその店のレジ袋を持っていくよう気をつかったり、いじましい努力をしていましたが、それでも言い出すタイミングをはずし、持参した袋を持ち帰ったこともありました。あのころに比べると、今はレジ袋を再利用しても恥ずかしくありませんし、手提げ袋を持ち歩く人も増えてきました。そういう意味では、いい時代になってきてよかったなと思います。
                             
スーパーでポイントをためるとマイバッグと交換してくれたり、中学校でマイバッグのコンクールを開いたりしています。区でもマイバック運動を推進していることもあり、生活スタイルの変化が見えつつあります。

マイバッグ

マイバッグ

見直したい「風呂敷」の魅力

手提げ袋ほど持ち歩いているわけではありませんが、風呂敷も使っています。
お中元やお歳暮の品をお届けするときは、先方で包みをほどき、帰りは小さく折りたたんで帰ればいいので、邪魔になりません。

その他に、普段使いの風呂敷というのもあって、こちらは、引出物が包んであるようなペラペラの風呂敷のほうがかえって都合がいいんです。化繊ですから泥野菜や雨具を包んでも、洗えばすぐに汚れが落ちます。

それから、姑は、昔、古いお布団の綿を抜いた皮を、板張りにして干し、それをはぎ足して大風呂敷を作っていました。
客布団など大物もひとまとめにして包めるので、重宝していたようです。

昔の人は、使えるものは、何度でも使ったり、形を変えて使ったりする知恵にすぐれていたんですね。そういう精神は、いつまでも失わずにいたいと思っています。井上家は、その後、増築をして、リビングダイニングの生活を経験したが、また最近、ちゃぶ台の生活に戻られたという。   
 
参考資料
 「昭和のくらし博物館」小泉和子 河出書房新社 
 杉並区郷土博物館 特別展―映画にうつされた郊外―

風呂敷

風呂敷

DATA

  • 取材:河合 美千代
  • 掲載日:2006年04月24日