3アンネのバラを守った人々

増株に協力した四国の園芸家-相原嘉寿雄さん

現在は120株以上の木が見事な花をつけているアンネのバラだが、長い歴史の中では、途絶えそうになったこともあった。献身的にバラを守ってきた人々の尽力を紹介する。

オットー氏から贈られたバラを絶やさぬためには、増株の努力が必要だった。そこで協力してくれたのが、愛媛県松山市でバラ農園を営む園芸家、相原嘉寿雄さんだ。相原さんは戦後の傷跡残る松山を花で一杯にしたいという夢を持ち、バラ作りを志した先進的な園芸農家。高井戸中に通っていた甥がアンネのバラの世話をしていたため、折にふれて栽培の相談に乗っていた。1979年(昭和54年)9月、相原さんは高井戸中からの依頼を受けて上京。増株のため松山に持ち帰った枝は、折しもの台風ですぐに作業することができず、冷蔵庫に入れて天気の回復を待った後、接木されたという。相原さんは翌年4月に、増やした苗を車で18時間かけて東京へ運び、高井戸中へ20株、神代植物園へ5株届けた。その後も「バラには沢山の種類があるが、一つくらいは販売ルートに乗らないバラがあっても良いのではないか」という思いから、四国から高井戸中や全国の学校に、1万本以上のアンネのバラが無償で送られた。2006年(平成18年)、区立読書の森公園の開園式典でも、相原さんから杉並区に贈られたアンネのバラが記念植樹された。
東日本大震災後、相原バラ園ではアンネのバラの販売を始め、売上は全額、被災地に寄付している。相原さんは1981年(昭和56年)発行の『愛媛バラ会会報』で、アンネのバラについて「バラの歴史上これほど人々に感動を与えたバラは無いと思います」と書いている。丹精込めたバラを無償で提供することは、なかなかできることではないが、そこにはアンネのバラの本当の価値を知る園芸家の誇りが輝いている。
※相原嘉寿雄さんは2014年7月に永眠されました。ご冥福をお祈りします。

▼関連サイト
相原バラ園

読書の森公園開園式典にて。右から4人目が相原さん

読書の森公園開園式典にて。右から4人目が相原さん

校舎建替え、アンネのバラを守り抜いた職員-三浦邦敏さん・小林公広さん

1996年(平成8年)、アンネのバラは校舎の建替えのため、いったん校門横の花壇から敷地の隅に移される。当時、バラの木を懸命に守った元・学校職員の三浦邦敏さん、小林公広さんに話を伺った。

三浦邦敏さんプロフィール
元・高井戸中学校事務職員。1993年(平成5年)~2003年(平成15年)、同校に勤務。杉並区在住。

菊鉢で守った23株のバラの木
「私が高井戸中に来たときには、生徒会と教職員がバラの世話をしていました。しかし、1996年(平成8年)に校舎改築工事が始まり、アンネのバラは生徒の手から離れてしまいます。」
間もなく工事が進み、バラを植える敷地を確保できなくなった。三浦さんは諸方面に相談したが、バラの引き受け先は見つからない。「このままでは、まずい」と、三浦さんは小林さんと2人でバラを守ることにした。「23株のバラの木を40センチ程に切り詰め、菊鉢に移して管理することにしました。プレハブの臨時校舎裏にあった受水槽のフェンス上に板を渡して棚を作り、何とか日当たりを確保。そこに菊鉢を並べ、2人で毎日はしごに上って水やりをしました。」1997年(平成9年)12月19日には新校舎が完成。花壇脇にはバラをかたどったモニュメントも設置された。2人が守ったアンネのバラは菊鉢のまま花壇に植えられる。
しかし翌年、地植えしようと菊鉢を開けてみると根は病気でコブだらけ。樹勢が弱り、何とか育ちそうなのは10株程度で、もともとあった木が元気なうちに挿し木を成功させなければ、バラは途絶えかねない状況だった。「小林さんと昼休みに、隣接する高井戸図書館に行って園芸書を読み漁りました。プランターに挿し木したバラを事務室に置いて、祈るような気持ちで世話をし、何度も失敗した後に、やっと根付くようになりました。」
最後に三浦さんは語った。「高井戸中の生徒たちが引き継いできたアンネのバラは、命と平和の大切さを伝えるバラだと思います。だから枯らすわけにはいかなかった。生徒さんたちには、地域の方々と一緒に大切に育ててほしい。そして興味がわいたら図書館に行き、アンネの生涯について調べてくれるといいな、と思います。」

小林公広さんプロフィール
元・高井戸中学校事務職員。1997年(平成9年)~2003年(平成15年)、同校に勤務。現在、杉並区スポーツ振興財団で施設担当係長を務める。

挿し木で増やした225株
1997年(平成9年)、小林さんが高井戸中に来た時は校舎建て替えの最中で、アンネのバラは3畳ほどの草ぼうぼうのスペースに、やせ細った状態で植えられていたという。看板もなく3メートル近く伸び放題で、囲いのフェンスからトゲのついた枝が飛び出していた。アンネのバラを知らなかった小林さんは、思わず「危ないから処分した方が良いのでは」と思ったそう。すると三浦さんが「何とか守らなくてはならない」とバラの由来を話してくれたという。
「とにかく増やさなければアンネのバラは途絶えてしまう」と、剪定した枝で挿し木を試みるが、なかなか根付かなかった。「150本~200本差して、根が出たのは1本だけ。それも枯れてしまいました。」小林さんの手元に残された当時の栽培記録には、挿し木や手入れの克明な記録が記されており、当時の2人の努力がしのばれる。「もともと植物の世話は好きでしたが、由緒あるバラを守らねばと必死でした。」

2人の尽力で、2001年(平成13年)には、菊鉢で守った木から増やしたバラが225株まで増え、現在のバラ花壇の基礎になった。今、当時を知る関係者は口をそろえて「三浦さんと小林さんはアンネのバラを守った功労者だ」という。
今でも高井戸中の近くを通ると、バラのことが気にかかる、と小林さん。「アンネのバラは、どこで咲いても美しいバラですが、高井戸中学校で咲いてこそ意味がある。地域の宝として守っていってほしいと思います。」

元高井戸中学校事務職員の三浦邦敏さん

元高井戸中学校事務職員の三浦邦敏さん

当時、小林さんがアンネのバラのインタビューに答えた高井戸中PTA会報誌

当時、小林さんがアンネのバラのインタビューに答えた高井戸中PTA会報誌

バラの世話を引き継いだ元PTA会長―横山早苗さん

2003年(平成15年)3月に、三浦さんと小林さんが他校に移ったとき、バラの世話を引き継いだのが、当時、PTA会長だった横山早苗さんだ。2004年(平成16年)に地域の協力組織「アンネのバラ栽培委員会(現・アンネのバラ・サポーターズ)」を立ち上げるまで、日々のバラの手入れを引き受けていた。保護者として三浦さん、小林さんの努力を見ていた横山さんは、「アンネのバラの世話を再び子どもたちの手に戻さなければ」と考え、生徒による「アンネのバラ委員会」の発足にも尽力した。

バラ剪定を指導する横山さん

バラ剪定を指導する横山さん

DATA

  • 取材:内藤じゅん
  • 撮影:みっこ
  • 掲載日:2014年02月24日