3中島飛行機工場跡地をたどる

荻窪工場跡地は区民の暮らしを見守る防災公園へ

荻窪工場跡地の5ヘクタール(面積の単位。1ヘクタールは100m四方)は、住宅/子育て・高齢者施設/商業施設等多様な機能を持つ市街地エリアに変貌した。残る4ヘクタールは(仮称)桃井中央公園として、現在公園整備基本計画に基づき造成工事を行っている。同公園の基本方針のテーマは『新しい緑と地域の絆を育て、暮らしの安全・安心を守るみんなの原っぱ公園』であり、イメージは『木陰や水辺を持った広い原っぱ』である。中島飛行機荻窪工場跡地のほぼ半分を占めるこの広大な公園は、このテーマとイメージに基づき、2011年(平成23年)4月に誕生しようとしている。

記念碑

記念碑

荻窪工場跡地は郷土が誇るべき史跡

青梅街道に面した桃井3丁目の信号近くにある日産自動車荻窪工場跡地の一角に、互いに背を向けあうように2つの記念碑が建立されている。
1つの記念碑には、東京大学生産技術研究所(現文部科学省宇宙科学研究所)の指導を受けて、富士精密工業がペンシルロケット(※)の初飛行に成功したことやこのロケット技術が現在のロケットを生み出す原動力となったことが記されている。誠に晴れやかな記念碑だ。
もう1つの記念碑は、青梅街道の斜め方向の遥か上空を見つめるように建立されている。そこには『中島飛行機発動機発祥の地』・『昭和62年12月10日建立』とある他には、何も記されていない。それだけに、中島飛行機荻窪工場がこの地で果たした歴史的な重さに思いを馳せざるを得ないのである。
大正14年以降、中島飛行機荻窪工場で設計・製造されたエンジンは、国産第1号450馬力の『寿』(1930年(昭和5年)6月完成)、世界にその名を轟かせた零式艦上戦闘機等に搭載した『栄』(1933年(昭和8年)6月完成)、『誉』(1941年(昭和16年)3月完成)などがある。
つまり桃井3丁目の荻窪工場跡地は、日本の『ロケット発祥の地』であるとともに、国産第1号の飛行機用エンジンをはじめ、世界に誇る中島飛行機のエンジンをいくつも生み出した、郷土が誇るべき歴史的な跡地である。
 
※ペンシルロケット:実験用のロケット。鉛筆のように小さいと形容されたが、実際は鉛筆よりは大きい。20cm~50cmくらいのもの。

中島飛行機荻窪工場跡地にある2つの記念碑

中島飛行機荻窪工場跡地にある2つの記念碑

荻窪工場用地所有者の変遷

法務局の資料等によれば、荻窪工場用地は次のように所有者が変わっている。
1932年(昭和7年)3月 中島飛行機:購入
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1945年(昭和20年)8月 富士産業:中島飛行機の商号変更
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1950年(昭和25年)7月 富士精密工業:富士産業からの譲渡
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1961年(昭和36年)2月 プリンス自動車工業:富士精密工業の商号変更
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1966年(昭和41年)9月 日産自動車:プリンス自動工業との合併
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2001年(平成13年)3月 UR(独立行政法人都市基盤整備機構・旧都市基盤整備公団):日産自動車から購入

戦後だけで5回も所有者が変わっている。このことからも中島飛行機解体後、めまぐるしく企業の入れ替えが起こったことが分かる。
太平洋戦争当時、中島飛行機は軍需会社に指定された。そして荻窪工場では戦闘機のエンジンを生産していた。その跡地が、今では杉並区民の安全を守る防災公園に生まれ変わっていることに不思議な縁を我々は感じた。

防災公園開発までの道のり

1990年代の日本経済は、バブルの崩壊により景気が悪化し、多くの企業が経営の合理化を図るなど厳しい状況下だった。日産自動車は1999年(平成11年)4月にルノーと資本提携し、カルロス・ゴーン氏の社長就任後の同年10月にリバイバルプランを発表した。このリバイバルプランに基づき、荻窪工場跡地9ヘクタールを売却することになった。この売却計画を知ると、民間開発業者/宗教団体/学校などが購入者として手をあげたらしい。
日産自動車株式社は、売却にあたり、永年世話になった地元住民/杉並区/行政機関に貢献する施設づくりを希望した。そして公共性の高い土地利用が実現できるものとして、杉並区の意向を踏まえ、多くの売却候補の中からURに土地利用計画の協力を依頼し、売買契約を結んだ。
URは、杉並区と話し合い、震災避難用地等としての大規模公園が不足していることや少子高齢化社会に対応するため子育て・高齢者支援施設の新設等の一体的な基盤整備を検討した。
2000年(平成12年)から杉並区主催URコーディネーターのもと、住民説明会が何度も開催された。その結果を踏まえて、2001年(平成13年)3月に次の3つの進展があった。
・(仮称)桃井中央公園として『都市計画告示』
・杉並区とURとの間で『防災公園街区整備事業』に関する基本協定書を締結
・日産自動車とURとの間で土地売買契約が締結
その後も住民との話し合いやアンケート調査などを踏まえて、防災公園の基本計画が決定したのは2006年(平成18年)2月である。
ちなみに杉並区は、この公園を日常は憩いの場であるとともに、災害発生時には市街地火災からの一時的な避難の場所としている。さらに救援活動期には、緊急ヘリポートとして負傷者の搬送や医療物資の受け渡しを担うなど多面的な機能を有する地域防災拠点となる広場と位置づけている。

DATA

  • 取材:佐野昭義
  • 掲載日:2010年12月02日
  • 再取材日:2013年02月14日