そのほかの杉並イチバン

杉並区初の銭湯は?

杉並区では、1922年(大正11年)荻窪駅近くに「寿湯」が開業したのが最初(1972年に廃業)。その後、大正時代に開業して現存する銭湯は、高円寺南の香藤湯、天沼の林泉湯、藤乃湯である(2011年10月現在)。
銭湯の形態は、明治後半に、江戸時代風から近代的に変化した。それまでは、洗い場は板壁・木製浴槽・板敷きだったが大正時代になると、陶器のタイル敷きになったり、富士山や海の大きな背景画が描かれるようになった。老若男女関わらずこぞって集い合い、憩いの場としてだけでなく、マナーや思いやりの心を学ぶ教育の場として開けていた。戦後、人口の増加に伴って銭湯は増え続け、杉並区では1965年半ばにピークを迎え120軒ほどになった。しかしその後、家庭風呂の普及などで、2011年10月1日現在では30軒(休業中2軒を含む)にまで減少した。
数は減ったものの、時代の変化にともない、「ニュー銭湯」として多種類の風呂の設置や、地域の文化活動の場の提供、「まちの湯 健康事業」の実施など、コミュニティ施設としての方向も見えてきている。
参考:『銭湯遺産』(戎光祥出版/2008年発行)
写真:1922年 寿湯開業
▼杉並区浴場組合ホームページ

1922年  寿湯開業

1922年 寿湯開業

杉並区に初めてパン屋ができたのはいつ、どのお店?

実は、どのお店が区内初かどうか定かではない。しかし、現存するパン屋の中で最も古くからあるのが丸十ベーカリーヒロセ高円寺駅前店である。開業したのは1925年(大正14年)。創業時の屋号は高円寺丸十パン。創業者は雨宮平三郎氏である。
当時販売していた主な商品はアンパンや食パン、コッペパンなど今でも馴染みのあるものだった。店舗の広さは20平米~30平米ほど。現在のようなセルフでパンを選ぶコーナーはなく、工場の窓口から直接販売する形態だった。
パンは明治の文明開化により、西洋食文化として日本にすでに存在はしていたが、貴重な食品だった。パンの元となる酵母を作るのに時間と手間がかかる上、職人の秘技だったため手に入りにくかったのだ。そんな中、当時アメリカに渡ってイーストの作り方を学んだ田辺玄平氏が、日本で国産イーストを広め、品質の安定したパンが計画的に作れるようになり、一般家庭にも普及した。雨宮氏も田辺氏からその製造方法を学び創業した。
お話を伺った人…株式会社ヒロセ 廣瀬主税社長

現在のヒロセパン

現在のヒロセパン

一番最初に開店したファミリーレストランは?

今や「ファミレス」という言葉で十分通用するほど一般に浸透しているファミリーレストラン(以下:ファミレス)。
ファミレスの定義はいくつかあるが(1)多くの客が食事ができる広い店内。(2)質、量ともに低価格で満腹感がある。(3)「家族連れ」に対応した業態。大体この中に当てはまると「ファミレス」ということになるようだ。
ご多分にもれず、杉並区内にも数多くのファミレスがある。今回は焼き肉やピザなどひとつの商品を売り物にしたファミレスではなく、あくまでも和・洋・中の定番メニューを食べることのできる店をファミレスとした。

現在杉並区には「ガスト」「Sガスト」「ジョナサン」「藍屋」「バーミヤン」「夢庵」などを展開している、すかいらーくグループ系列のファミレス、「デニーズ」「ロイヤルホスト」「神戸屋レストラン」「不二家」「サイゼリア」など洋食系のファミレス、「華屋与兵衛」「さと」など和食専門のファミレスがある。
今回は杉並区内で最初に開店したファミレスを、1番から3番までをとりあげてみたいと思う。

まず一番最初に杉並区内で開店したファミレスはどこか? 
すかいらーく宮前店が1978年9月28日に開店したのが一番最初である。
五日市街道沿いではあるものの、駅前ではなく住宅街の中というロケーションに意外に思われた読者も多いかもしれない。当時は住宅街の中にあり、かつ駐車場のあるレストランということでめずらしかったようだ。ちなみに、すかいらーくは1970年7月に東京都府中市に1号店(国立店)出店しているので宮前店はそれから約8年後、すかいらーくの中では98店目になるという。
その後、すかいらーくの業務体制変更に伴い、1994年1月25日「ガスト宮前店」と店名が変更され、現在も同じ場所に存在している。現在はテイクアウトもOKで、こちらは少しずつ需要が高まってきているようだ。杉並にはガストのみ8店舗ある。(2011年10月現在)

では2番目にオープンしたファミレスはどこか?
方南通り沿いにある不二家西永福店が1979年4月27日にオープン。ペコちゃんマークでおなじみの不二家である。子育て支援ということで離乳食無料サービスなどを行っているようだ。ただし杉並区内にある不二家レストランはこの一店舗のみとなっている。

3番目はデニーズ高井戸店で1981年6月にオープン。井の頭通りと環八の交差点そばにあり、こちらも最寄りの駅から少々はずれている。現在デニーズはこの他に南阿佐ヶ谷店、西荻店と合計3店舗ある。

こうして杉並区で最初にオープンしたファミレスの1番から3番までを調べてみると、現在は駐車場スペースも小さい地域密着の小規模の店舗が多いのに対し、ファミレスが杉並にできた70年代は大型店舗化が主流だったように思われる。
一時期はかなりの数のファミレスが杉並区内にあったようだが、会社合併などの影響もあり現在は30~35店舗ほどになった。

注:2011年10月現在、杉並で営業しているファミレスの中、オープン順3番までを調査。
※ガスト宮前店は、2011年12月に閉店いたしました。
▼すかいらーく 企業情報
▼不二屋レストランブランド
▼デニーズ

すかいらーく和泉店 外観(提供:ラリーと宇宙と時々野川公園・管理人さん)

すかいらーく和泉店 外観(提供:ラリーと宇宙と時々野川公園・管理人さん)

電気、ガス、水道のうち杉並で一番最初に導入されたのはどれ?

電気は1915年(大正4年)ごろ、ガスは1936年(昭和11年)頃と推測される。
東京電力株式会社に情報提供をお願いしたところ、「当時の杉並区は豊多摩郡の和田堀之内村、杉並村、井萩村、高井戸村にあたります。電気事業要覧の記載によると東京電灯の供給としては1915年(大正4年)分に「豊多摩郡(和田堀之内村及高井戸村内ノ一部ヲ除ク)」という記載がされており、少なくとも1915年(大正4年)には供給が開始されていたものと思われます。」とのことだった。

ただし、電気事業要覧には1915年(大正4年)以前に「豊多摩郡」地区には電気供給は開始されていた記載もあるため、上記の4つの村に供給がなかったという確証はとれないとのことだった。というのも、その時期の電気供給地域の記載は「豊多摩郡」とあるだけで、それ以上くわしくは触れられていないからだ。

こういったことから、現在の杉並区にあたる地域の電気供給については、1915年(大正4年)、もしくはその数年前あたりからと推測されている。
余談だが、1915年(大正4年)というのは、東京電灯、日本電灯、東京市電気局による三電協定が締結された時期であり、各電力会社による需要獲得の競争が激しかったらしい。これによって、供給地区が一気に増えることになったのだろう。

昭和11年ころの荻窪駅

昭和11年ころの荻窪駅

杉並に初めて鉄道が通ったのはいつ、どこでしょう?

杉並区域で最初の駅は荻窪駅(当時は「停車場」)。
この解説はすでに公開されている下記コンテンツにくわしい記事が掲載されている。
おじいさんの知っている昔 杉並中央線誕生物語(一)で、前後の流れ、当時の状況など詳細に紹介されており鉄道ファンならずともお奨めのコーナー。

区民、役所、民間が一体となって実現し全国で初めて使用されたカラス対策グッズは?

黄色いゴミ袋
この黄色いゴミ袋は、梅里付近にお住まいの地域の方々や行政が連携し実現したもの。東京都が推奨する炭酸カルシウム入りゴミ袋に替えて使用するためには色々なハードルがあったが、2005年9月13日、「杉並区可燃ごみを収納する袋の特例認定に関する要綱」を制定し実際に使用できるようになった。テレビや新聞でも報道され全国からも注目された。

一方、東京ガス株式会社に調査をお願いしたところ、「1936年時点で杉並地区に営業所があったことまでは確認できていますが、現在の杉並区のどこの町名にいつガス導管が敷設されたのかを示すデータ等につきましては、確認できませんでした。」とのことだった。
それまで調理に必須だった竈が、その後、どんどん姿を消し、1960年あたりではほとんど姿を見かけなくなったとのデータもある。ガスは多くの人々に歓迎され、急速に広まっていったのは確かなようだ。

水道に関する調査結果はまだ入手できておらず、暫定ながら電気が一番早かったのでは、、、と推測される。

杉並区で一番大きなホールはどこでしょう?(2006年1月現在)

荻窪の杉並公会堂。
「光と風のハーモニー」をテーマに設計された杉並公会堂は、旧公会堂の跡地にそのまま建て替えられ、2006年春新たに開業。総座席数は1190席と区内最大(公演形式により座席数は異なります)。荻窪駅から徒歩数分という立地の良さ、世界の三大ピアノの保有など本格派音楽ホールとして今後もさまざまなプレイヤーによるすばらしい演奏を支えていくことでしょう。
区内にはほかに社会教育センター内の セシオン杉並(578席)などがある。

▼杉並公会堂のサイト

荻窪駅

荻窪駅

カラス

カラス

杉並公会堂

杉並公会堂

DATA

  • 取材:阿佐ヶ谷太郎、里村芙有子、高橋貴子
  • 掲載日:2007年02月24日